形成外科・美容外科・美容皮膚科の東京渋谷 たか子クリニック

たか子院長のコラム

はじめに

私が日々思っていること、伝えたいことを、私らしく、私の言葉で伝えたいと思い、コラムのページを設けました。
医療に関すること、美容に関すること、それ以外の日々の思いを書いてまいります。
コラムの内容は、よく、患者さんの治療中にお話している内容でもあります。

  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |  

No.025

2012年11月12日

二人の祖父2

以前父方と母方の祖父について書きました。先日ふと思い出した事が有ります。昔、私が幼かった頃、うちに犬がいました。その犬は何故飼っていたかと言うと、父方の祖父が近所の駐車場の管理人をしていて、そこに連れて行くためだったと思いだしたのです。祖父は以前に書いた通り、苦学して富岡製糸の工場長になった人です。その祖父が何故、老後、駐車場の管理人をしていたのか、不思議でした。当時父は既に薬局を開業し、叔母二人は医者に嫁ぎ、裕福とは言えなくても生活は出来ていたはずです。色々考えていて思ったのは祖父にとって働けるのであれば、それがどんな職場であれ、働く場が有る事、働ける体力が有る事を感謝して働いていたのではないかと言う事です。普通なら「富岡製糸の工場長だった」と言うプライドが邪魔して、働く場を選んでいたのでしょうが、きっと幼い頃から家族を支えて働いてきた祖父には働ける限り働くのが自然だったのでしょう。そんな祖父を思うとふっと嬉しくなります。
母方の祖父は家業を伯父に託してからは、家にはいましたが、神社や菩提寺の総代を務めていました。母方の祖父にとっては自分の置かれた状況の中でそれが当たり前だったのでしょう。
だからどちらの祖父が偉いと言う事ではなく、どちらも自然に社会と関わって自分が社会に出来る事をしたと言う事だと思います。先日亡くなった母方の伯父も90歳まで、幼稚園の園長をしていました。
アンチエイジングを良く言われていますが、年を重ねて行く上で大切な事は、社会が何をしてくれるかを考えるのではなくて、自分が社会に何が出来るかと言う事ではないでしょうか?
私の中に二人の祖父の血が流れていると思うと、祖父たちに恥じない生き方をしたいと思います。

  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |