形成外科・美容外科・美容皮膚科の東京渋谷 たか子クリニック

たか子院長のコラム

はじめに

私が日々思っていること、伝えたいことを、私らしく、私の言葉で伝えたいと思い、コラムのページを設けました。
医療に関すること、美容に関すること、それ以外の日々の思いを書いてまいります。
コラムの内容は、よく、患者さんの治療中にお話している内容でもあります。

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No.002

2006.10.14

「私の原点はいじめ」

「私の原点はいじめ」と書くと、私がいじめっ子だったと思う人が殆どでしょう。
ところが、私はいじめられっこでした。中学1年生の時に、いじめにあいました。
あるとき、授業の途中だったにも関わらず、耐え切れずに家に帰ってしまいました。でも、子供って自分がいじめられているのを親には言えないものですね。私も親に言えずに自分の部屋で泣いていました。
すると、学校から連絡が入ったらしく、母に「先生から連絡が有ったよ。お父さんとお母さんはあなたのことを信じているからね。逃げたらおしまいだからね、頑張りなさい」と言われました。翌日から、歯を食いしばって学校に行った事を今でも忘れられません。
私にもたくさんの落ち度があったのだと思います。でも、翌年進級して2年生になってからは、一切そう言った事がなかったことから考えると、どこかでボタンの賭け違いが有ったのかなと思います。
今でも中学時代の同級生たちとは連絡を取り合っていますが、皆、私へのいじめを覚えていないようです。
そんなものなのでしょうね、時間が経過すると言うことは。
でも、いじめられた経験は今でも私の心に刻まれていて、これを書きながら、まだ涙も出てくるほどです。
ただ、考えてみれば、私には記憶がないのに、逆に誰かをいじめていたかもしれない。もし、そんなことがあったとしたら、許して下さい。
いじめられていた当時、私が考えていたのは「私は強くなって、いじめない人になる、いじめられている人を守れる強い人間になる」と言うことでした。
人間は、辛いときにたくさんのことを学びます。悲しいかな、幸せなときに学べる人って少ないですよね。
乳がんのお手伝いをしていて、すごく嬉しいのは、患者さんたちの支えあう姿をこの眼で見られることです。ある患者さんは、彼女と同時期に手術を受けた方が化学療法を受けることになったと聞いて「私は仕方ないけれど、彼女は化学療法をしなくてすめば、良いなと思っていたのに」と涙を流していました。自分だって辛い思いをしているのに、相手を思いやれる強さ、これが本当の優しさだと思いました。そんな彼女たちを見ていると、私も見習わなくてはと、強く思います。
形成外科は、先天性の奇形を扱うために、受け持ちの患者さんが成長してゆくのをご両親と一緒に見守ることもあります。ある女の子は、中学でひどいいじめに会いました。あるときお母さんから、その子が学校でのいじめに耐えかねて、自殺未遂までしたことを知らされました。その子を赤ちゃんの時から知っている私は悲しく、悔しかったです。でも、その子も、今は優しいご主人と子供に囲まれて幸せに暮らしています
辛かっただろうけれど、頑張った甲斐がありました。きっと、彼女は心優しいお母さんとして子供を育ててゆくでしょう。
美容や形成外科には、人には言えない心の傷を持っている患者さんもいらっしゃいます。
「彼氏は格好よいのに、自分に自信が持てない」「この鼻がすごく嫌」「この目の形が嫌」「毛深いと苛められる」などなどです。外面の事を訴えているけれど、実は心の奥底に傷を持っていることもあります。
私は、患者さんの外面はある程度変えることは出来るけれど、それをきっかけに、患者さんには心の傷から立ち直って欲しいと思っています。
ただ、心の傷は時々思い出して下さい。そして、自分が他人に何をしてあげられるかを、考えてみて下さい。
いじめは絶対にいけないことです。と同時に、いじめに負けない強さを持って欲しい。
私にとっても、いじめは今でも心の奥底に深い傷として残っています。
でも、この古傷が私を強く優しくしてくれると思い、時々古傷を撫ぜています。
2006.10.14記
教師のいじめだけは許せない。
上記「私の原点はいじめ」を書いた後で、福岡の中学生男児が、学校の先生の心無い行動が引き金となって自殺をしたと言うニュースがテレビを騒がせました。
真相は分かりませんが、目にする多くのいじめのニュースの中でも、この事件には、強い不快感を与えられました。
実は、私のいじめの発端も、担任の先生だったと思っています。2年に進級した後、担任の先生に「お前は大変な生徒だと聞いていたけれど、そうじゃなかったなぁ」と言われました。
そう言われた時には、私はいじめから立ち直った後だったので「へぇ、私は、1年の時の担任の先生に嫌われていたんだ」と思った程度でした。
子供とは、ある意味未熟で、ずるいところがあります。
学校においては、先生というのは絶大な権力を持っていて、そして私たちを守ってくれる存在だと思うものです。そこで、権力を持つ先生が、ある生徒を疎むような態度があると、その生徒に対して他の生徒がいじめても良いや、と思うことは起こりうると思います。
子供はまだ未熟なので、たくさん愚かな事をしてしまうでしょう。私自身、いじめられた記憶は今でも、心の奥底に深い傷として残っています。
唯、その事でいじめた同級生たちを恨んではいません。
前にも書いたように、私の方にいじめられる原因があったかも知れないし、別の時に、私が気づかずに傷つけてしまった同級生もいるでしょう。
でも、先生がいじめの発端となる、若しくは助長することだけは許せない。
私は学校の先生は素晴らしい尊敬すべき職業だと信じています。
誰も聖者ではありません。人間臭くても教育者であることは忘れないで欲しい。医者がビジネス優先ではいけないのと同様だと思います。
学校の先生は、自分の受け持ちの生徒を「いとおしい」と思って欲しいと思います。
私はクリニックでは、患者さん、スタッフをいとおしいと思う気持ちを大切にしてゆきたいと思っています。
すべての患者さんにいとおしいと思うことは不可能に近いかもしれない。でも、その人の前では真摯でありたいと思っています。
時には、初対面の患者だったとしても、きついことを言うことがあります。でも、それは、その人のことを私なりに考えて真剣に話しているからなのです。
学校の先生だって普通の人。医者だって普通の人。
でも、職業として自分を律しなくて部分はある筈です。
職業に貴賎はない、それぞれの職業の人がそれぞれの立場できちんと自分を律してゆかなくてはいけないと思います。
学校の先生にとって、生徒を守る、慈しむ、指導する、これが一番大切なのではないでしょうか?
それよりも保身や自分の感情を優先させることは違う。
教育界で出世することより、大切にしなくてはいけないことがあるのではないでしょうか?
どんな職業でも富、名声より、優先させなくてはいけないことがあるはずです。
昔と異なり、生徒の親の中に、高学歴の人が増えています。親がどんなに高学歴であっても、先生は教育のプロです。親が先生への尊敬を失っては、生徒も先生を尊敬しなくなってしまいます。
そして、先生が教育のプロであっても、親は家庭での教育を放棄してはいけないし、最終的な子供の教育の責任者は親であることを忘れてはいけないと思います。
テレビや新聞の報道で、給食費を滞納する親が増えているということなどを見るにつけ、学校の先生の置かれている立場は何かと苦しいと思います。
でも「先生は生徒を慈しむ存在であって欲しい」と、今回の報道を見ていて思いました。
私の中では、「教師」は「職業」。「先生」は「敬称」だと思っています。だからこそ、「教師」の方々には、「先生」であって欲しい。 もし、私が生まれ変わることが出来たら、そしてその時に、この記憶があったら、学校の先生、それも女王の教室の真矢のような先生になりたい。と言っても、あれほど強い意志を持てるか、疑問ですが・・・。
※女王の教室:http://www.ntv.co.jp/jyoou/
追記
このようなことを書くと、何故、私が今、学校の先生になるように勉強しないのかと思われるかもしれません。
ただ、私は今の仕事も大好きだし、今まで蓄積してきたことを利用して今の仕事を続けたほうが、より多くの事を多くの人に奉仕することが出来ると思うので、この人生はこの仕事に賭けてみたいのです。
私は今、49歳ちょっと手前。全く新たなことをはじめるには効率が悪すぎます。
久保田たか子のコラム No.002「私の原点はいじめ」
2006.10.17記

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