流されたら、ここに辿り着いたというのが、正直な感想です。目の前にあることを必死で追いかけてきたら、常に興味深い治療に出会えたということです。 |
まず、医者になったのは、親に医学部以外には学費を出さないと言われて、18歳で独立する勇気もなかったので、親の言いなりで医学部へ。
そして、医学部というところは卒業しただけでは就職先もないので、国家試験を受けた。取り敢えず研修医だけでも終了しないとアルバイトも出来ないので、教授が「入れ」と言ってくれたのと、知り合いの先生がいるので良いかと短絡的に選択したのが形成外科。
初日に、先輩がスポンジを皮膚に見立てて縫い方を教えてくれたので、やってみたところ「私、この仕事、好き。一生の仕事にしよう!」とその瞬間、形成外科に恋をしてしまった。 |
それからは、形成外科一筋。形成外科医として必要な、骨や筋肉の知識を得るために整形外科の研修に3年間行ったり、結婚1ヵ月後には単身赴任したり…と、形成外科医の道をひたすら歩んできました。
そして大学では、ある程度たった時点で、私のライフ・ワークは、乳癌の再建と目の手術と思っていました。唯、思い入れが強すぎる私は、乳房再建に対する自分の思い入れに疲れてしまって、徐々に乳房再建の仕事からフェイド・アウトしていました。 |
エア・ポケットにはまってしまった私は、真剣に仕事を辞めることを考え始めていました。しかし、そこでフルーツ酸のケミカル・ピールに出会ったのです。
当時35歳、それまでスキンケアなどまったくしていなかった私は、シミの問題を抱えていました。自分のためにと海外の友人から譲って貰ったグリコール酸のケミカル・ピールをやってみたのですが、シミは良くならない(今思えば当然ですが)、何故だろうと思っていたときに、オバジ先生が始めてアジアで行ったシンポジウムに参加しました。
それ以降は、常に肌の治療のために飛び回るようになりました。しかし、大学病院勤務では、行動に制限があるため、開業を決意して、平成10年5月に開業しました。 |
それからは自分の目指した医療、患者さんに優しい医療を模索する毎日です。
開業医としてある程度生活が落ち着いた2003年、自分からフェイド・アウトしてしまった乳房再建という仕事を母校聖マリアンナの乳腺外科の先生たちと再会し、現在は再建外科という古巣に戻りつつ、美容医療、そして今後はもう少し、医療色を濃くしつつ、しかし、整容的にもスマートな治療を行ってゆきたいと思っています。 |
| 手術後に治療目的で用いる下着も少しでもお洒落なものが望ましいし、巻き爪の治療もペディキュアが楽しめるようなスマートな治療のほうが望ましい。医療だからといって見た目を気にしないのは患者さんにとって決して優しい医療ではないでしょう。 |
患者さんとの関係は概ね、楽しい関係を築けていると思います。時には私の日常の話、患者さんの仕事の話、お互いの生活の話などに治療中及ぶこともあります。
アメリカの医師たちと患者さんの関係を見ているととてもフレンドリーで、かと言って患者さんにへつらうような関係ではないのです。医師として話すことはきちんと話し、患者さんの言うことは同じ視線で聞くという関係を築いている数人のアメリカの先生たちを見ていて、私も彼らを見習いたいと思っています。 |
本来、疾患を治すのではない美容ですが、私はあくまでも医療にこだわって行きたいと思っています。
美容医療診療と保健医療診療、その両方があって、私の中でバランスがとられていると思います。
今後、より良い美容医療を捜し求め、また保険診療にも美容のスパイスを取り入れたエレガントな医療を求めて行きたいと思います。そのためには白鳥のように水上ではエレガントに水面下では一生懸命バタバタして仕事をしていきたいと思います。 |
| 今後も新しい治療を探して行きたいと思います。そのためにも時々海外へ出掛ける事があり、ご予約が取れずご迷惑をおかけすることがありますが、ご了承下さい。 |
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